目次
ジョージアのながーーーい歴史を手短に紹介
8000年前には既に人が定住しワインも醸造していたと言われるジョージア。
北海道より少し小さい国土に約380万人の人口を抱えています。(87%がジョージア人)
BC6世紀には西ジョージアにコルキス国がBC4世紀頃には東ジョージアにイベリア国が興りましたが
その後両国ともローマ帝国の保護下に置かれます。(今でも東と西では文化が違うとのこと)
1世紀頃にキリスト教が聖人二ノによって伝わり330年にはキリスト教を国教としました。
4,5世紀にはグルジア文字が発明されており、5世紀にローマ帝国から主権を回復してトビリシに遷都されました。
中世1089年に即位したダヴィッド建設王の時代に黄金期を迎え
ひ孫のタマル王(女)の時代には西は黒海、東はアゼルバイジャンまで進出したそうです。
しかしその娘のルスダン王(女)の時代にモンゴル等の襲来を受けて
1226年にはトビリシは占領されてしまいます。
その後はモンゴルや、ティムール帝国、ペルシャサファヴィー朝、オスマン帝国等に侵入され
その地理的要因の為に大国に振り回されてきました。
近代では1801年にロシア帝国に併合されロシア化政策、ロシア文化を強要されました。
1917年ロシア第2革命で一時的にアルメニア、アゼルバイジャンとで独立できたものの
1921年赤軍侵攻によりソビエトに併合。
ソ連:(ジョージア出身!!)スターリンの時代にはホロモドール(大飢饉)、大粛清を経験し
多くの少数民族がカザフスタン、キルギスに強制移住させられました。
(ジョージア人だからこそコーカサス少数民族を熟知していてその力を恐れていたと考えられる)
スターリンの死後も汚職、中央集権化等で人々の暮らしは大変だったようです。
ソ連崩壊後、1992年にはジョージアの西北部のアブハジア地域の人が分離独立を求め
政府との間で紛争(アブハジア紛争)となりました。(ロシアの援護を受けたとされる)
2003年にはシュワルナゼ政権の
経済成長を阻害する汚職や民族分離運動への対応に不満を持っていた人々が
バラを持って議会を取り囲み抗議し、政権を交代させました(バラ革命)。
現在に至るまで分離独立を求めるアブハジアと南オセアチアの間では問題は解決しておらず
ロシア軍が駐留していて緊張状態が続いています。
グルジアというロシア風国名は嫌だとのことで2014年にジョージア政府から要請があった為
日本では2015年から国名を英語風のジョージアと変更しました。
↑アブハジアとの国境の川島でとうもろこし栽培をする祖父と孫娘の話。
トビリシの第1印象
アルメニア・エレバンから来てまず驚いたのは街が大きくて華やかなこと!
川を挟んで街が東西にが広がり、建物は古き良き感を醸し出していてとてもお洒落。
団体観光客や地元の人で出溢れかえった活気ある紀元前からあったとされる古都です。
が、観光客慣れした京都のようなところもあり
レストランは観光客向け価格であったり、
ジョージアで大切にされているという「おもてなし精神」までは感じることはできませんでした。
ジョージアの本当にいい所を知りたいなら、やはり観光客の少ない田舎にいかないと、と思いました。
年配の人は英語はダメで何か尋ねても面倒くさそうにされました。(若い子や警察の人は親切でしたよ!)
1)ムタツミンダ山へのロープウェイ(ナリカラ砦、Mother of Georgia)
トビリシの全体像を知りたくて、まずはムタツミンダ山に向かいました。
ヨーロッパスクエア近くにロープウェイ(Mother of Georgia Tramway)乗り場があります。
日曜日の夕方に行きましたが長蛇の列でした。(片道15ラリ=約93円、タッチカード決済可)
乗車してすぐに山並みに沿った可愛らしい古い建物群が見えてきます。
やがて川の向こうまで、夕陽に照らされたメテヒ教会や至聖三者大聖堂まで見渡すことができ
市内を一望することによって街全体の位置を把握することができました(*’▽’)
ナリカラ砦は2024年4月現在閉鎖中。(開放していても登りたくないほど危険な場所!)
ソ連時代に建造されたマザーオブジョージアは正面からは見えませんがその大きさに驚きました。
22時までなので夜景も楽しめると思います。おススメ!!
2)シオニ聖堂
4世紀ジョージアにキリスト教を伝道した聖二ノの遺物(ブドウの枝と自分の髪で作られた十字架)
がここにあるとされていて、ジョージア人にとって特別な教会だそうです。
今回の旅でいくつかアルメニア教会、ジョージアの教会を巡りましたが
この教会が一番印象に残りました!
歴史を感じる古い堂内、カラフルなフレスコ画、地元の人が熱心に祈りを捧げている姿、
そして老女の心地よい聖歌(祈りの言葉にメロディをつけるアカペラ)・・
暫く黙ってベンチの座ってその心地よい調べを聴いていました。
3)トビリシ歴史博物館
シオニ聖堂の隣に歴史博物館があります。
昔のトビリシの生活様子を再現した部屋やミニチュア、写真などが展示されています。
民族衣装、家具や織物もありました。
規模は大きくないですが、人が少な目なのでゆっくりのんびり見学できました。
入館料:15ラリ(約930円)10:00 -18:00(月休)
4)アルメニア教会
旧市街地区にはアルメニア教会(スルヴ・ゲヴォルグ教会)もあります。
もともとは13世紀に建てられたものですがその後再建され当初の姿とは
変わってしまったそう。
そしてイスラム占領時代に荒廃し1779年に修復されたものの
1795年には略奪、内部焼失したとのこと。
現在見られるフレスコ画の3分の2は18世紀のものとみられています。(残りは15世紀のもの)
さて内部見学する際にはアルメニア教会では珍しいイコノスタシス(聖障)にも注目です。
アルメニア教会はジョージア正教の教会とは少し雰囲気が違いますし
ここのアルメニア教会は他の一般のアルメニア教会とも違うので
興味ある方は是非その違いを感じてみてください。
そしてシオニ教会のすぐ傍にも
アルメニア教会(St.Virgin Mary temple of Norashen)があります。
が、こちらは(何か教区内の揉め事があって)朽ち果て放置されています。
中には入れませんが窓から覗くと
昔はさぞカラフルであったであろうフレスコ画の断片を見ることができます。
歴史ある建物を我々が今参観できるのには
やはりそれを修復維持している人たちがいるからこそ、と
もう一つの現役アルメニア教会と比べて思いました。
又、この近くにシナゴークもあります。
入ってみたかったのですが入口付近にパトカーが止まっており
時節柄日本大使館からもイスラエル系建物へのテロ注意喚起がされていたので訪問は見送りました。
5)モスク、温泉
そしてこの旧市街にはなんとモスクもあります!
急な坂道を上った植物園の近くにありました。
一見モスクとはわからないこじんまりとしたモスクで、女性は2階で礼拝します。
敬虔な信者がお祈りを捧げていました。
その横で暫く正座して心落ち着かせる時間を持ててよかったです。
その後坂を下って温泉街に行きました。
今回は時間がなかったので実際に入浴はしていませんが。
可愛いレンガ造りのドームが並んでいます(#^.^#)
地下が温泉浴場になっています。
アゼルバイジャンで似た施設に行ったのですがあのドームは
サウナ室の熱気を逃がす煙突のような役目をしていたので
ここでも温度を保ちつつ蒸気を逃がしてるのでは、と想像しました。
内部様子、料金の参考はこちらサイトから→ Orbeliani Baths Royal Bath-House
6)ショッピングと食事
Kote Afkhazi St.には観光客向け土産物屋、飲食店が沢山並んでいます。
洒落たレストランやカフェはそこから一本奥に入ったJan Shardeni St.に並んでいました。
多分観光客向けの価格設定になっていると思いますが
Kote Afkhazi St.ではいわゆる食堂みたいなお店もあってジョージア定番のハチャプリ等も
お財布に優しい値段で食べられると思います。
私はおなかは空いてなかったのでカフェに立ち寄りました。
コーカサスでよく見るあまーーーーーーいお菓子。
見ているとついついトライしてみたくなります。
又Metekhi 橋にでる手前にMeidan Bazarという地下に続く階段がありました。
そこもお土産屋さんでしたがセンス良く綺麗に包装された食品も豊富でした。
価格はスーパーの方が絶対安いのですが
自分用でなく、ちゃんとした
人にあげるお土産を買いたい人にはお勧めのスポットかと思います。
動画 トビリシ旧市街ブラブラ / 恐怖のトビリシの地下鉄と大型スーパーマーケット探訪
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次回はルスタベリ通り周辺の観光スポットについて書きますね。
ご覧くださりありがとうございました!